2013年8月16日金曜日

5日目(2008年8月25日 月)⑯サンクト・ペテルブルグ 出立の日2

エルミタージュの前の宮殿橋を渡って、
ヴァシリー島にある
これは、ピョートル大帝お気に入りの
クンスト・カメラ
人類・民俗学博物館
家臣の虫歯を引っこ抜いたのや、
双頭の牛の剥製など
ちょっとゲテモノが
展示されているという。





ヴァシリー島名物の
ユーモラスな灯台柱
ロストラの灯台柱
ユーモラスなものを作る人が
この国にも居た事に安心感を覚える。




ヴァシリー島 
ヴィルジェヴァヤ広場にある
旧証券取引所



そうしてそのお隣には
こんな大きな建物があるのですが、
はて? 
何でしょう?
中央海洋博物館でしょうか。




ヴァシリー島の
向こうに見える
ペテロ・パウロ要塞

その名前とは裏腹に、
18世紀末からは政治犯の監獄で
囚人第一号は、
ピョートル大帝の皇太子アレクセイ

ピョートル大帝の命にそむいた
祖国裏切りの罪で投獄。
父の命令による
非人道的拷問で死亡とか・・

でも、実は逃げさせたとかいう記述を
読んだ気がするのは
夢幻だったかな?




ロストラの灯台柱は2本ありまして、
こちらの柱付近から向こう
(ネバ川はさみ向こうのエルミタージュの方)を
見ています。
左側はちょっとした広場で
ビルジェヴァヤ広場



芸術アカデミー
とかいうところでしょうか?




再びバスで今度は
クンストカメラの前を通り一
路空港へ!




また橋を渡り、
ペテルブルグ市内を回って
一路帰路につきます。



デカブリスト広場の
ピョートル大帝騎馬像




青銅の騎士こと
ピョートル大帝の騎馬像と
後ろはイサーク聖堂




上の図のイサーク聖堂側へ
回り込んで
イサーク聖堂まえの
マリインスキー宮殿
現市庁舎 
美しいですよね。



市庁舎の向かって
右手の屋根
修理中なんでしょうか?
ロシアは当時(2008年夏)
いたるところ工事中でしたが、
もう修理済んでいますね
(現在2013年夏)。



ここは、イサーク聖堂広場右手の
シニイ橋からみえるモイカ河。
たくさん建物が
並んでいますが
今ではホテルとかでしょうか?



これもその建物の一つ





こちらは有名なホテル・アストリア




イサーク聖堂前で
バスを降りてしばし撮影タイム
このイサーク聖堂は、
最終的にはアレクサンドル1世の時に
フランス人宮廷建築家
オーギュスト・ド・モンフェランの設計によりなる。

第二次世界大戦の時、
ドイツの格好の餌食になりそうだったので、
この金色のドームを
ソ連側は灰色に塗り替えたそうです。

ロシアビザンチン様式を基本に
新古典主義様式による
ファザードで建設された。



外観に関しては
イタリアの建築家
アンドレア・パラーディオの設計による
ヴィラ・ロトンダとの類似が
指摘されているとか。

だって、St.ペテルブルグは
そもそもヨーロッパ建築のいいとこ取りを
しようとして作られた都市だから、
むべなるかな、でしょ。





そうして観光バスでごった返す
イサーク聖堂を後にして
一路空港へ向かうのでした!






ロシアに来て初めて知った、
ベイウィンドウの建物





日本ではほとんど見たことのなかった
このグァ~ンとした建物の曲線の
美しさに目をみはり



朝っぱらからあんな小さいバルコニーに
大の男がでてきて
一服している姿にびっくりし





朝の交通規則ないような
道路状況にも慣れ



St.ペテルブルグの
朝の出勤風景を見ながら一路郊外へ



大きな建物を見ると
旧ソ連時代のものかと
思わずジロジロし





郊外で見かける
こういう姿は、
果たして
解体中なのか、新築中なのか
区別がつかず




街の至る所で現れる
ロシアン正教の寺院の姿に
見とれ




朝の通勤風景や車の種類を観察し



民族の多様性に連邦だった名残を見



こういう大きな建造物に
旧ソ連の名残を見




ひたすら郊外へ郊外へとバスは進む




また見えてきた巨大建造物




たくさん労働者の姿が
見えるところに
旧ソ連の名残が見られ





ロシア語が少しでも解ればな・・と
残念な気持ちで



このSt.ペテルブルグに入った時に見た
空港近くのホテルの前をまた通り





 遂に帰りの空港に着きました!

少しロシアに慣れて、
帰りはこのロシア国内機としては有名な
S7の画像も撮ってみました。
誰にも咎められませんでしたよ。




そうして
またこの固いパンの機内食が
出されました。




モスクワの空港では何時間も待たされ、
ようやくかなり遅れて日本航空に乗れ、
機内食はこの通り豪華でした。





機内への水分の持ち込み量が
厳しく制限されているので
すぐにこのペットボトルが配られます。




機内で一泊し、
朝食

やはり、
日本航空の食事はいい方だと
思います。







そうして遂に
無事我が家に戻って参りました!
これが我が家の玄関内。

スーツケースが
サランラップのようなもので
ぐるぐる巻きなのは、
初日モスクワに着き
預けた手荷物見たら、
鍵が吹っ飛んでいたため、
帰りは中身が出たりしないよう
ツアコンのリエちゃんに相談し、
ミハエルが空港内の
このサービスを教えてくれたもの。

そう、ミハエルは
空港まできちんと私たち一向を
送り届けてくれたのでした。

ミハエル、ありがとう!

5日目(2008年8月25日 月) ⑮サンクト・ペテルブルグ 出立の日

皆さん!
大変お久し振りです!  
気にはかけていたのですが、
生来の怠け者。

ロシア旅行最後の章が
延び延びになっていました!
怠けている間に
ブログの投稿方法も少し変わりました。
焦る~!

さて、St.ペテル・ブルグ最後の日。
やはり朝は雨でした。
前日の朝食バイキングの時、
同席した他のツアーの
日本人夫婦のご主人が、
ホテル目の前の教会が素晴らしいと
言っていたので、
出立の朝、早起きして
朝食前に
行って見ることにしました。

ホテル・モスクワ前 
アレクサンドル・ネフスキー広場



通りを亘ったあちらです。




アレクサンドル・ネフスキー男子修道院
こちらへ来る前の道には、
物乞いの老女が道端に座っていました。
ロシアでは、
物乞いや傷痍軍人みたいな人を
良く見かけました。
かなりショックでした。





周りに人はおらず1人なもので、
こちらゲート風でしたが
どこから入るのか
とんと解りません。




う~む・・
どこがその、
『素晴らしかった』教会なんだろう?
キョロキョロと中を覗くのみ・・



ゲート奥のあの塔なのか?
それとも上の画像の黄色い塔なのか?




良くわからないのと
ロシアの事だからという先入観から
中へは進まず、
修道院の裏手を
回ってみる事にしました。



ここの修道院の墓地には
ロシアの著名な文豪達の墓がある
とかでしたが、
そこまで行けもせず、
遠くから墓地と思しきを撮影
ドストエフスキー、
チャイコフスキー、
ムソルグスキーの墓がある。 



ぐるっと回ってくると、
修道院の壁に
こんな今風な落書きをする輩は
ロシアにもいるわけです。




ぐるっと回ってくると
ホテル・モスクワの対面に出ました。
この修道院の周りの草むら、
朝だから誰もいなくても
1人で回って来られましたが、
夜とかは無理ですね。
草むらの中に酔っ払いの残して行った
酒瓶なんかありましたから。





 そうして、モスクワ・ホテルの
美味しい朝食バイキングを食べて、
帰路最後の建物、
スモールヌイ宮殿

レーニンが10月革命の時、
指揮を取った、
と手元のメモにあるところを見ると、
右端に映っているガイドのミハエルが
きちんと説明してくれていたようです。
時間の関係で外から見るだけ。





向かって左側の翼



右側




再び左側
はは~、
今地図を調べてわかりましたが、
スモールヌイ宮殿は
ホテル・モスクワの前の大きな通り、
川岸通りをそのまま北上した先に
あったんですね。
St.ペテル・ブルグの北東部にあります。





そのあとネバ川沿いに
エルミタージュ方面へ向かいます。
ここは、ピョートルの石の宮殿、夏宮。







エルミタージュ宮殿、
ネバ川に面した方

このあと、宮殿橋を渡り、
エルミタージュの対面の島、
ヴァシリエフスキー島へ行きます。


続く・・     to be continued...