2016年1月2日土曜日

2015年12月4日 ツアー2日目 姫路城

ツアー2日目、いよいよメインの姫路城です!
平成の修復相成った白く輝く姫路城!

このツアーに参加した、目的が姫路城です!



姫路城
1346年赤松氏により建てられた城を西国の拠点として
秀吉・池田輝政・本田忠政が拡張。1618年現在の造りに。

近世城郭建築最盛期に築城建築の粋を集めて造られた
城郭建築の最高峰と言われ、
奈良の法隆寺と共に1993年、日本初の世界遺産の登録されました。





まずは、宿泊した大阪のホテル
出発前に記念撮影





と思ったら、並びに偉くド派手な建物が!
流石、大阪と思いパチリ!

冠婚葬祭を扱うところのようでした。






バスで小1時間くらいとの事で、
こちら方面初めてです!

どうも六甲の辺りで、山の斜面にまで
家やマンションが立ち並び、
えぇ! っとビックリしました!






バス、一番前の席でしたので、
見るもの全て新鮮。

皆さん、寝たりしている中、
1人キョロキョロ、パチパチ。

山を上ったり降りたりしているんです。





そうして、さしたる渋滞もなく姫路市内に入ってきました!
もう、見えてます!

あれが、平成の修復相成った白く輝く姫路城でございます!

現存する12天守最大 白漆喰籠造り










さて、姫路城へはこの菱門から入ります!
2時間半ほど自由行動で各々見学します!

菱門(ひしもん)(重文)

屋根の上、中央3つ・連格子窓、両脇2つ・華頭窓
向って右端に見えている白いのが、出格子窓






中に入ると天守が見えます!

大天守と3つの小天守とを渡り櫓(わたりやぐら)で繋いだ連立式天守






お堀の前から見上げます!
三国堀

3つの小天守が大天守に寄り添う・・
今は2つの小天守しか見えていません。

多分、乾小天守と西小天守






地図もありますが・・






まずは、天守閣に登ってみなくちゃ、
話になりません!

いざ!





真っ白であります!
でも、この白漆喰もやがて黴が生えて黒くなるので、
白い姿も今のうち、だそうです!

え~と、屋根、一番上:入母屋破風
その下:曲線が美しい唐破風
右側面の2つ並んでいるのが、千鳥破風
だそうです。

唐破風がある事で優美さが出てますね~。





菱の門から、いの門へ行く途中に井戸の跡。
でも、これは例のお菊さんの井戸ではありません。






そうして、難攻不落のお城ですから、
狭間(さま)が廻りにありまする。

狭間は、4850あったと言われているそうです!
現在では997箇所が現存。





 これは、ろの門ですね。(重文)
いの門の撮影し忘れです!






今この辺りってありますが、
どの辺りなのか、お初なので良くわかりません。

でもなんでも闇雲に撮っておくと
後で反芻してみる時の手助けになります。





右手に、狭間がいっぱいです!
攻め入ってきた敵を鉄砲・弓矢で狙うんですね。

はの門南方土壁(重文)









 あ、石燈籠の基礎だそうです!






そうか、かつてはここに石燈籠があったのですね。







 天守目指してどんどん登ります。
ほんとにいっぱい狭間がありますねー!!

攻め入ってもこれじゃ、
たまったもんじゃありません!






狭間の大きさも形も配置も
美的センスで色々異なっているんだそうです。







 きゃ~~!!
あそこからも狙い撃ちですね!







 あ、でも綺麗ですね!

難攻不落にして美しい。
だから、家康が天下を取ったあと、
この城を恐れ城主をころころ変えたわけです。

あ、もしかして、これ、
帯櫓(おびやぐら)ってやつ?
部屋の隅に石落としの隙間がある。(向って左)
銃で狙うんだって。





 こちらでは、ボランティアの案内人が
右と左の生垣が作られた時代が違うと説明中






 にの門
スマホをかざすとその説明動画などが見られるそうです!

いいな。






 瓦の紋
姫路城は城主がころころ変わり、
48人もいたから、わかる人にはわかる
誰かさんの縁の紋瓦でございましょう。






にの門。小さな門。(重文)
奥が暗い。
前面に鉄板が張られていて。
間口狭く、天井が低い・・


槍や鉄砲を持った敵が背をかがめてしか
入って来れない様にですね。






 かいくぐるようにして出てきました。
確か、いざという時は、石を崩して
上のやぐらを落とせるんでしたよね?


埋(うずみ)門という防御のシステム





 おお!
いよいよ、天守に近くなって参りました!







ほの門(重文)
小さな門だが、扉は鉄で覆われ
簡単には攻略できないって。






ほの門をぐるっとまわって水一門

 油壁
秀吉時代のもので城内に1箇所だけ残る築地塀 、
ってこの右手にちらと見えてる塀の造りですね。







 姥ヶ石
石臼の一部とか






 あの網がかぶさっているところです!






 秀吉が石垣の石集めに苦労していると聞いて、
城下で餅を焼いて売っていた貧しい老婆が
石臼を寄付した。

秀吉は喜んでこの石臼を使った。
この評判を聞きつけて石の寄付が増え、石垣が完成した・・云々。

でもこの石垣を作ったのは池田輝政なのでこの話は伝説ですって!





 お!
いよいよ天守閣です!






 まだ、じゃん!
水二門かな?

見てください!
こういう広いところは狭間狭間狭間でございます!
いちころですな~。





 水三門(重文)

姫路城。
天守、櫓など8棟の国宝、74棟の国指定重要文化財で
構成されているので、見るものほとんど重文と思って間違いなしです。







 ようやくここからが
天守閣入り口でございます!






 天守閣の中は流石に混んでいました。
皆さん、数珠繋ぎに先に進みました。

こちら城郭の模型。




 高いところに登るとすぐに下を見る!

あ、まだ工事しているんですね~!





 屋根がまだ黒いですもんね。
白く輝いてみえるのは、
黒い瓦の目地の部分に白漆喰を盛り上げて塗っているため。

光が反射してどこからみても白く見える。





 窓が縦に長いのも
ここから下に居る敵を狙いやすいように。





 あれ?
この天井は、なんだったっけかな?





 ほら、あそこで屋根瓦に白漆喰を塗っている方達が・・






正に、黒い瓦の目地に白漆喰を塗っていますね。
白漆喰を作る工房もお城の中にあるそうです。

お正月番組で知りましたが、
何と、平成の大修理は天守についてのみの事で、
80以上もある建物の屋根の修理は毎年2~3箇所ずつやっても、
全て修理するのに、20~30年はかかります。
その頃には最初に修理した屋根を再び修理しなければ・・・

という事で、屋根の修理は常時行なわれているんだそうです!









さて、順路に従いどんどん登ります。
ここは、2階の武具掛けのところかと・・

天守には沢山の武具掛けがありますが、
最大で鉄砲280丁 槍90本収められたとか。

大天守。
5層6階地下1階
望楼型という造り。






基本的に、中は、中央が1辺28m.の身舎(もや)と呼ばれる部屋で、
見学者が歩いているのが、
身舎の周りを取り囲む武者走りと呼ばれる廊下、

からなっているそうです。





2階ですね。
天守入り口に架かる入母屋破風の屋根裏の空間。






内側の狭間から鉄砲を撃つので、
その煙の排気窓があります。

高窓
柱の両端の四角いところ。







一段高くなっている棚があります。
石打ち棚
ここに登ってやはり敵を撃ちます!






あ、ここでもスマホをかざせば、
説明がみれるのね!

中国の観光客がみんなやってたわ!








階段は超狭くて、昔の手をつきながら登る階段。
そこをゾロゾロゾロゾロ登っていきます。

足が冷たいだろうとスリッパが用意されていますが、
階段の幅が狭すぎ、
スリッパみたいなつるつるするもの履いたら
危ないと思い履きませんでしたが、
最上階に来るまでには
足、ほんとつめた~くなります!

滑り止めのついた厚手のソックスお勧めです!


あ、ここは最上階の刑部(おさかべ)神社
お参りしてきました。ポンポン!






ここまで登るのに、へふへふ言ってやって来たので、
後は、窓から外を見るのみでしたが、

最上階は特別な造りになっているそうで、
天井は棹縁(さおぶち)天井が張られていて、
釘隠しは他と違い金色の飾りが施されている。

更に、中央部は一段高くなっていて
かつては畳が敷かれていたであろう、居間の造りとの事。

画像には撮ってきませんでしたが、
見ては来ました。







本丸(備前丸)から見た天守閣(国宝)

天守閣を上から下まで貫く西と東の2本の心柱にも
ぽんぽんと触ってきました。

5層6階の天守、各階を重ねるダルマ落とし形式だと
横の力に弱いから2本の大柱で貫いているそうです。




2本の大柱は、大修理のある時、
姫路の街中を引っ張って運ばれるそうですね。

姫路っ子みんなの気持ちが一体となる!


左手にみえるのが、西小天守





さて、この後は、大天守を後に
二の丸、西の丸へと行きます!






わっ!!
一枚、二枚・・・のお菊様の井戸はここでしたか!

二の丸





皆さん、井戸の底を覗きこんでいますが、
深いですよ~。

撮影しても暗くて良くわかりませんでした!
ご自身の目で見て下さい。





扇の勾配

ぬの門くぐった辺りですね。

あ、二の丸の外れの、りの門の画像忘れてる!
りの一渡櫓の画像も!
やっぱりもう一度見に行かなくちゃね!





扇の勾配の説明






こんな感じですかしら~
開いた扇の曲線に似ているからこの名前

高さ23m.
敵によじ登らせないための工夫の反り返りです。





石垣の積み方にも時代によって違いがあります。
これは・・・・?

野面積み?
細かい石が咬ませてあるから・・・?

はて?





なんであれ、どの石垣も美しいです!








ほらね!
しっかし、高い石垣ですね~。

これをよじのぼってもねぇ。
よじ登っている途中で見つかってしまいますね。









さて、大天守も無事に見学できたし、
後は、西の丸の百間廊下とやらを見学です!







何処から見ても美しい姫路城
白鷺が羽を広げたようなので
別名、白鷺(はくろ)城

ずっと「しらさぎ」城と思っていて、今回「はくろ」城と聞きましたが、
「しらさぎ」城と言っている説明もあり、
どちらでもいいんですかしら~?
訓読みと音読みの違い?








おや、西ノ丸へ行く坂道にこんな石が!




番所があったかもの礎石だそうです。







坂を登りつつ、振り向けば
やはりそこには
周囲を圧倒する天守閣!

3つの小天守と大天守からなる
このような造りのお城は姫路城だけ!

現存する12天守閣の内最大。







さて、こちらが百間廊下入り口
西の丸櫓群への入り口ですね。








見取り図がありました!






あら?
何故か大天守の大柱の図が!







そうしてこれが百間廊下






ここは、お城に暮らす女の人が住んでいた櫓
なので、この扉は毎晩閉められた。

厳重にできていますね。






化粧櫓という千姫が居た場所からの眺め。
千姫はここから大天守を見ていた・・






あ、こんな所にも逆揚羽の瓦の説明が!

でも実物見れなかったんですよね~。
また次回トライです!





千姫の休憩した部屋もみましたが、
とてもあんな寒い部屋には居れません、ワタクシ。

昔の人が早死になのも、むべなるかな。
でも、千姫は天樹院となって70まで生きました!


走るようにして百間廊下を見て、
降りてきたところです。





名残惜しい事限りなく、
菱門をでて、またパシャ!

表玄関にふさわしく格調高い櫓門です。

禅宗の寺院建築からの華頭窓といい、
唐破風の優美さといい、
本当に美しく大きなお城でした!

黒く黴ない内に、是非もう一度行きたいです!





後ろ髪ひかれつつ、
集合時間も迫るのでお城を後にしました!







さて、また、元来た道を戻り
一路伊丹空港へ!





途中こんなものが!
これって、甲子園かなにか?






渋滞もなく、予定通り空港につきました!
もう、クリスマスの飾りが!